06/22: 脳死は「死」?
脳死は「死」として認定されるというのが、衆議院を通ったらしいね。
「脳死」という状態が、いったいどんな事なのかは、本人しか解らないだろう。
人間が人の「死」を決められるものなのか?決めて良いものなのか?
人の「生」へ深く取り組むお医者さんや、臓器移植を待つ人達とその家族の人達にとっては、喜ばしいことかもしれない。
逆に「脳死」とされる人の家族の人達にとっては、非常に辛い現実じゃないか。
だって呼吸をしてるんだよね?心臓の鼓動もあるはず。
「もしかしたら意識が回復する」という、その可能性を信じて生きている人にとっては、生きる支えそのものを失うことになる。
「死」の観念を追及するお坊さん達は、どう思われているんだろう?
こればかりは、どう捉えて良いのか解らない。
どっちにしても、誰かが悲劇を経験してしまう訳だからね。
「生死」は国や他人が決める問題では無いはずだけど、本人から意見は聞き出せない。
考えても考えても結論が出るはずは無いのに、どうやって決定したのだろう?
「脳」を完全に研究し尽くしてからでも遅くは無いような気はする。
だけど、臓器移植を待っている人は多い。
人が進化を続けるたびに、技術が進歩するたびに、人は新たな罪を生み出していく。
「脳死」と呼ばれる人は、こう思ってるかもしれない。
「今の状態は、とても心地良い。このままで居たいよ。」
もしそうだとしたら、殺人行為になる。
本当に良いのか?